以前より良く語られる開運の方法として、第三の目を活性化して金色の光を見たり浴びたりする事で幸せになるとか、お金がドンドン入って来るとかと言う話しがある
目を閉じて瞑想を行い額の中央、第三の目に意識を集中する事で金色に輝く光や、様々な色の光を感じ取る事で活性化し、宇宙意識に繋がりエネルギー波動が上がるとか
更には第三の目を通してテレパシックなビジョンを直接見て取る事で、スピリチュアルなメッセージを降ろす事が出来るとも語られる
私の見解としては全く間違っては居ないが、一寸ズレて居るなー
って感じ…
勿論、金色のエネルギー波動を感じて自身のエネルギー波動を上げる事で開運に繋げたり、お金そのものに対するブロックを外す事で金運アップに繫がると言うこと自体は正解であって、私も是非あやかりたいと願っている
では「第三の目を活性化して見る」と言うことの何が違和感なのであろうか?
神様お教え下さいませ
ー 神様からのメッセージ ー
目を閉じた瞑想を通じて光を感じ取ったり、何かのビジョンを見ようとする時に貴方がたがやりがち、想像しがちな事は、瞼の裏側、真っ暗な空間に光を感じて見よう、映像を見て取ろうとしてしまいがちなのではないか
更に第三の目を活性化しようとする場合には、実は肉体的な自然な動きとして額の中央、第三の目辺りに自身の眼球の焦点を合わせて額の裏側から自身の目を使って光や映像を見て取ろうとしてしまうのであろう
そして、目を閉じ暗闇の中にある眼球が見て取ったチリチリとした残光の中から何かしらの光の成分、輝く金色の光などを増幅して脳に伝え
見える
満足を得ることが出来る
貴方はどうであろうか?
ここでシラスボシからの体験を語って貰おう
(シラスボシ)
先日、私が鑑定セッションを行った際にとある方の亡父をイタコ的に召喚してお言葉をお伝えしました。その際に私には会ったことも無いお父様の姿が映像として見えました、生前八百屋さんとしてお気に入りの帽子を被り、前掛けをして生き生きと働いているような姿で、実際に亡くなられたのは80半ば位だそうですが、私が感じた姿は恐らく彼が人生の中で一番充実していたであろう中年期の逞しい姿でした
ではその姿がどのように見えたかですが、例えば目を瞑って瞼の裏のスクリーンに映像として見えたと考えがちかも知れないけれども、実際にはそうではありません
普通にお話しをしながら、勿論目も開いていて周囲の風景も普通に認識しているんだけれども
脳の中で現実の空間とは全く別な場所に映像として認識していました
(神様)
シラスボシの話しを聞くと貴方は凄い特殊な能力のように驚くかも知れないが、実は極々当たり前に誰もがやっている事なのだよ
例えば誰かとお話し中に貴方自身の過去の体験を振り返ったとすると、貴方の頭の中で過去の体験の映像が生き生きと蘇って来るであろう
その時に貴方は実際に目で見ている訳では無い
最早過ぎ去った過去の出来事を眼球と言う器官を通さずに、直接脳内で映像として捉える事が出来ている
詰まり貴方に知って欲しい事とは、全く眼球、目を経由する事無く直接脳内で映像や光を捉えると言う能力自体は、漏れなく貴方たち全てに備わっていると言う事実だ
後は貴方の知っている過去にチャンネルを合わせるのか、貴方の知らない未知のエネルギー波動にチャンネルを合わせるのか
たった其れだけの差に過ぎない
正にこの行為こそがチャネリングと言う事になる
スピリチュアルに活性化しよう、宇宙のエネルギーと繫がろうと試みる場合にあっては、肉体的な眼球の働きに依存しようとする事自体が実は遠回りであって
スピリチュアルな映像、宇宙的なエネルギー波動とは目(眼球)を経由せずに直接貴方の脳、貴方の意識へと直結される
それはむしろ覚醒状態の方がハッキリと認識出来るものであって、目を閉じたり瞑想したりする事は余り必要では無い
しかし、ノイズをシャットアウトして集中を持続すると言う意味合に置いては目を瞑ると言う事自体は有効な手段だ
但し、眼球と言う器官を通じて認識しようと言う貴方の思い込み自体が
貴方と宇宙とを遠ざけてしまっていると知って欲しい
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