大祓祝詞とは、神社などで神主さんが奏上する、「高天原に~カシコミもカシコミも申すー」ってやつですね
私は詳しく研究をしている訳ではないので、大祓祝詞に付いての詳細な解説は出来ませんが、神様からの言葉をただただしたためただけですよ
でも大祓祝詞を読んで見て感じる事、分かった事があります
まず高天原、天上界の神々が地上を治める、統治すると言う前提が間違っています
神は人々を統治しません、何故なら全ての存在が神から生まれた神と等しき存在であるから
宇宙、そこにはただただ自由が存在しているのみです
そして一番の肝である罪、汚れを祝詞の力で祓い清めると言う考え方が大きく間違っています
それが指し示しているのは、お前ら民の者は皆、罪、汚れに染まったどうしようも無い人間であるのだから、祝詞を奏上して、我々神、もしくは神々に使える我々上位の人々、に使える事で、罪、汚れを祓って安き国を作りなさいと言う事です
上から目線でなんか良い事、まともそうな事をチラつかせて我々に従いなさい、服従しなさいと言う所が奥深い所に潜んでいます
まあキリスト教も、仏教も全ての宗教がおんなじリリックで成り立っています、今をときめくSDGsも全く同じですね
貴方の存在は罪深いです、悔い改めて私達に従いなさい、と言う煽動から、私たちは抜け出さなければいけないんですよ
2 件のコメント:
②
"宇宙の法則"とは・・・
*唯一無二の要素の創造の基本運動法則"です。
シンプルなユニークな運動法則からあらゆる法則が発生します。
宇宙の唯一無二の"エネルギー要素の基本運動法則"には完全性と不完完全性・大と小・肯定と否定・etc.や完全で均一な2元分離などはありません。
なぜないか?
物理法則的にそのような事実はないからです。
唯一無二宇宙の創造に均一・分離はなく、また"宇宙は繋がっている"からです。
それぞれの物や事象・現象は単独で分離され(層など)便宜上成立しているが、未完であり、必ず環境になる何かに内包される要素が入り込み成立しています。(1個人、自分の身体を考えて下さい生命体要素のin put &out putを繰り返しています・星々もそうです)
宇宙ではミクロからマクロまで、層境界の重複であり、一定の尺度内を区切って分離解釈しているに過ぎない。
一見、1個の分離と言われるものは、内外部の環境により支えられ成立していて、その環境が変化すれば、即座に個も変化する。
物理学的には1 という完全な分離はない。
論理学的矛盾、均一コピーや排中律を含むパラドックスは発生しない。
数学の 1 も、どの1つの概念(意味概念を含む)も自分自身、単独で存在しない。
現在の宇宙論理を支えている一般相対性理論(アインシュタイン)などは近似的に応用可能だが、(非ユークリッド幾何学を利用しているので均一性を許容をしている完全2元分離で、絶対的光速を設定しても、環境である場の変化により即光速も変化を起こす)。
光速は絶対・完全ではない。
宗教は絶対・完全のバックボーンと、完全2元分離の論理マトリクスを2重に捉えて作られている。
宗教教義がヒエラルキー、絶対完全の宇宙・神に貫かれているため、人が置かれた環境・文化の進歩より、それが優先され、時の権力のヒエラルキーに利用されていて、倫理としての進化はない。
*唯一無二の宇宙の法則から抽出された
知的生命体の唯一無二の倫理法則
唯一無二の環境・知的文化過程に相応した生存方法。絶対性と完全性を排し、レベルに"調和した自由"のプロセスの進化に向かう。
宇宙の物理学的唯一無二の法則(マトリクス)と我々が利用している仮の2元分離論理マトリクスを同時に2重に使用する事になる。(排中律を無くすと矛盾は消える)
その事により我々の知的倫理観の進化は飛躍するでしょう。
*真実の唯一無二宇宙・真の創造の愛。
(多次元的捉え方)
*"唯一無二の愛"は宇宙が創造する唯一無二のパラレルワールドを貫く愛であり、何一つ同じもの、状態はない。
ワンネスは1つにスクラムを組む"光"の集合意識体です。
物理学的には1つと分離されたものではありません。
1つとしてスクラムを組み絶大なパワーを発揮する場合も重要視されるからでしょう。
SP界隈では宇宙の法則と誤解している多くの場合を見かけます。
それでは宗教の上塗りです。
宗教は自然発祥することもありますが、地球をねらった、訳あって愛なる日本人の魂を狙った可能性も見え隠れします。
我々とは桁外れに"光"輝く慈愛の魂存在において、紹介されているように宗教の拡大に手を貸す神々も多く(彼らは外宇宙からの派遣社員で派遣会社から唯一無二宇宙の法則をin putされて来ていないのでしょう)しかし彼らは慈愛の魂です。
アセンションに入っている今も神社・寺・教会を守り拡大していて、無くす気もありません。
宗教の何たるか分からないのでしょう。
私が全く言える人間ではないこと承知で・・「愛は賢くなくては、全体の妨げになることがある」。
「宗教は壮大な伝達ゲームである」は本質ではない。
の、説明をさせていただき、ありがとうございました。
①
22年1月19日(水)のブログ「宗教は壮大な伝言ゲーム」のコメントを22年7月23日(土)に匿名で投稿した者です。
"大祓祝詞"につき"神さま""シラスボシさま"のご意見をお聞かせいただきましてありがとうございます。
宗教の経緯は全くそのとおりであると思われます。
ただそれだけで「宗教は壮大な伝達ゲームである」は、宗教の"本質"にはなりません。
"真理"そのものが宗教の"本質"です。
"真理"宇宙の法則です。
振り返り、宗教の本質の両手は遥か彼方のから、片方の手で人身(魂)をすくえるだけすくって止まない救済をし、もう片方の手で数えきれない無数の人身(魂)を悲惨な目に合わせ、堕落させて来た。
今日までの歴史を見れば"明白"です。
宗教の本質の誤解と誤りに触れず、3次元的(時間の1次元は3次元の位置に従属する)にその過程が人意的に"祝詞・神社・宗教施設etc.絶対性の装飾・権威増大の伝達ゲーム"であると言うだけの説明。
それで、この宗教自身は"本質的"に正しいのか?
"本質的"に間違っているのか?
宗教の"本質"を指摘しないで、肯定面、否定面だけを羅列しても解決には何も向かわない。
宗教は無くなる方向には向かわない。
宗教が作り出す"△ヒエラルキー"は、偉大な教える側と教えられる側の完全2元分離の固定化と排他の拡大であり、政治・経済・一般社会でも、全く同じ形態のそれぞれを重複させています。
ヒエラルキーは社会マトリクス内で、通常の人間関係で発生します。
ただこれを強力に固定拡大継続するには、もう一つの要因が必要です。
*頂点になる創始者側の裏付け"絶対性""完全性"がなければ成立しません。
つまり、絶対性・完全性と分離ヒエラルキーの2重構造で△完全・絶対化・継続化して行きます。(・・それがなければヒエラルキーはただの△です)
ではその基盤バックボーンになる神仏・宇宙の創造主は"絶対""完全"でしょうか?
これはシラスボシ様が今も証明されています。
今この時に出て来て宗教を「ほっておいたのは誰?」「あれこれいう」過去・現在・未来を見通す神様・創造主様は"絶対""完全"でしょうか?
よく考えましょう。
もし、"絶対""完全"だとすれば、 神の創造を自ら否定した事になり"矛盾"。
しかし、そのような“矛盾"は存在しなし、宇宙の法則は"矛盾"を創造しない。
現在使用されている論理体系は・・・
宗教・論理学・数学・物理・政治・etc.で"矛盾・パラドックス"は今日でも完全に「どちらでもない」「どちらとでも解釈可能」決定不能(このため宗教は必ず分離・分裂を続ける)の命題と共にあります。
"矛盾"を作り出しているのは、我々が通常使用している完全2元分離である、論理マトリクス"であります。
"矛盾"の解明と理解が進めば"真理"宇宙の法則'と、そこから抽出された5次元の"進化する倫理法則"が見えて来る。
なぜ2元分離が間違いなのか?
結論を言うと、元々完全でないものを、完全に分離可能とした事が間違いです。
論理学の論理パラドックス・数学の決定不能な命題があります。
現代に置いてもそれら学問的課題は未だ解明に至りません。
重要なのは"宇宙の法則"の捉え方です。
今使用している世界の"完全分離から始まる均一から生じる矛盾パラドックスを内包する論理体系では、この真実"真の宇宙物理学"に対して理解不能です。
(矛盾パラドックスがわからない方は検索すれば出ます)
ここで簡単に解明してみます。
結論から聞くと分かりやすい。
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