神様、大祓祝詞が改竄されて日本人の精神性が封印されて居るという話しを聞きましたが、実際どうなんでしょうか
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そもそも大祓祝詞と言うもの自体が貴方達の狭い世界の中でピラミッド型のヒエラルキーと権威を確立するために創作されたものである
簡単に言うと神様に奏上し、神様に繋がると言う行為自体を凄く特別な行為と棚上げし
貴方達の神棚も貴方達の生活空間から切り離して棚上げしているであろう
貴方達一人一人の意識が直接私、神と繋がることを妨げることを意図したもの、それが貴方達が有難がる大祓祝詞と言うものの真実だ
そもそも、縄文の人達は今のシラスボシのように、私神と繋がる、神の声を聞くことに特別な何かをする必要など無かった、生活の中の極自然な一部として、私神と誰もが気軽に交流出来ていた
それが、時代が下がり、少しづつ私神との交流が遠ざかるにつれ、私神との交流を保ち続ける人達が段々と特別な存在と認識されるように成ってしまった
更には、この世界にピラミッド型の支配構造を当て嵌めて支配を企もうとする人達に取っては、純粋に神と繫がり、自然と共に自由に生きる人達の存在が邪魔となって来てしまった
一方神と繫がっていた人達ですら、世代を重ねるごとにその神と繫がる力も少しづつ薄まって来てしまった
その為に、自らの神聖と霊性を高めて、少しでも神と繫がる力を繋ぎ留めようと編みだして行ったもの、それが祝詞の始まりである
当初は極シンプルなものであった、私宇宙の創造主、神とは、実は貴方達に取っては中々捉えどころの無い大き過ぎる存在であったのだが、5次元の世界から貴方達をサポートする役割を担ったセオリツ姫やニニギノミコト、コノハノサクヤノ姫、等々沢山の存在が直接貴方達と係わり、シンプルにそれらの名前を奏上し、感謝の気持ちを伝えることから貴方達の間に祝詞と言う文化が広がっていった
所が、貴方達を支配しようと企む勢力に取ってはその事が大きな障壁となって立ちはだかる事となった、貴方達が自分達支配者層を飛び越えて5次元の存在と直接繫がることなど許しては置けないのである
そこで、支配者達は純真無垢な貴方達から原初の祝詞を奪い、祝詞と言う行為自体を貴方達の言う神社と言う場所と空間に押し込め、貴方達の自由な祝詞を制約し、更には自分達の都合の良いように書き換えてしまった
その目的とは一にも二にも貴方達から神聖と霊性を奪い、我らが特別な存在として貴方達の上に立つ事を目的としたからである
その精神的支配構造が数千年も続いた結果、貴方達は自らが魂を覚醒し、5次元の存在と繋がり、本当の意味で自然に生きると言う力を全ての人々が奪われてしまって居る
彼ら支配者達の思うがままの社会構造、其れが今の貴方達の姿である
たまに神社に行けば何となく接することもある位で、ほとんどの人々に取っては人生に置いてそれ程は意味を成さないもの、大祓祝詞ではあるが、実は貴方達を精神的に支配すると言う点に置いては長い歴史を通じて現代でも、もの凄く大きな役割を果たしているものなのだよ
受け入れ難いと思う人も多かろうが
貴方が問うたから
私神が答えた
7 件のコメント:
ありがとうございます!
出典の紹介や、本も読んでみてね
日本には至る所に神社があります。ずっと、これが日本なのだと思わされてきました。
神社に行っても、木が大きくて気持ちいいなくらいで、そこに神々の存在を感じたことがありません。むしろ何か不気味さや違和感を感じることが多いです。
神社は、日本人・縄文人の本来性からのものではなく、権力者により民衆支配の道具として画策されたものだった。これで納得しました。
でも神社を無くしてしまったら、日本ではないように感じる人も多いでしょう。
悪の温床、カソリック教会のないヨーロッパはヨーロッパではないと感じるように。
文化とは複雑怪奇なものですね。
こちらこそ
出展は神様です
神社自体は恐らく地脈の要所、気の流れの良い所に立てられて居ると思うので、神社自体が悪いものと言う訳では無いと思います
むしろ鳥居や注連縄で気の流れを分断し封じ込めて、ネガティブに作用するようにデザインされ、利用されてしまって居る事が問題かと思います
後、訪れる人々も私利私欲にまみれたお願い事を発する事で、重たいエネルギーが溜まってしまうのだと思います
気の良い場所のパワーを封じ込めてるのかもしれませんよ。神社の外に行かないように。
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